「腸を絶つ景色、空海様のみた景色」

 

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一気に冷え込んで、夏の暑さがうそのような季節。紅葉の美しい季節になった。自然の猛威にひれ伏すこともあれば、四季の美しさに心洗われることもある。こうやって日本人の感性や思考が出来上がっていくのだなあと、季節を重ねると、わかったような気がする。

 

 弘法大師空海様の詩の一部に次のものがある。まだひらがなが無い時代(一説には、ひらがなは空海様が作ったといわれている。漢字のみでは表現できない大和言葉を表すものとして作ったと・・・)なので原文は漢字のみ。

 

池鏡(ちきょう)、無私にして

万色(ばんしき)、誰か逃れん。

山水、相映じて、

(たちま)ちに見て、腸を絶()つ。

 

日光補陀落山開基の勝道上人をたたえる詩で、池鏡とは補陀落山(男体山)の眼前の中禅寺湖のこと。

鏡のような湖面は、無私である。私とは、主観や主語の主の意味、つまり、あれこれ想念の起きるものではなく、無とか禅の境地のようなもの。万色とはすべての景色のこと、何一つ逃さず湖面に映す。湖面に映った山は、さらに溶け合い山に水面が映ったかのよう。腸は、内臓というより、人の器官(英語ならOrgan、人間のすべての体内器官)で、その風景を見れば、たちまち、人間のすべての器官を止めてしまうほどというもの。

この季節であれば、中禅寺湖の湖面に映る紅葉のことかもしれないが、歌を詠んだ空海自身が日光に行ったという記録はない。最後に、腸を絶つ、とあり、すべての人間の感覚や動きを止めるとあるので、ただ単純に、「美しさ」を詠ったものでもない。「美しい」「きれい」といった観念的なものを超越して、人をはっとさせる「何か」が、かの地にはあると、空海様は詠っている。若いころには、日本中のあらゆる景色を目にしたであろう苦行の7年間があり、万里の波頭を乗り越え、世界都市、長安にも行った空海様の心に浮かぶ風景とはどんなものだろう。

 

 

映像を仕事としている私たちも、そんな景色に出会い、永遠に残したいと思うが、ハイビジョンや、4Kではなく、1000年以上たった私たちの心を騒がせてやまないのは、空海様の選んだたった16文字。空海様にはかなわない。