舞台芸術の歴史 1

【舞台芸術 前史】

 舞台芸術とは、演劇、オペラ、ミュージカル、舞踊、人形劇・・・・様々なものがあります。

 これらの芸術を語ることは人類の歴史を語ることでもあります。我々の祖先は、二本足で歩き、森から草原に生活の場を移し、洞窟から樹木で造った住居に住むようになり、狩猟や農耕を始めました。何日も獲物が捕れない日々の後、大きなマンモスをしとめた時には、部族全体で飛び跳ねたり、踊ったりしてうれしさの感情を表現したかもしれません。また仲間が獰猛な獣に襲われたり、病気で死んだりした時には、嘆き悲しんだことでしょう。

 こういった、人間が感情を持ち、その表現として、踊ったり、歌ったり、その場面を再現したりすることが、芸術の始まりかもしれません。

 そのうち、踊りには型ができ、きれいな衣装をまとい、音は、様々な音色が加わり、リズムや節が生まれ、内容には、物語性が生まれます。その物語は、精霊や神との交信だったり、部族の歴史や、教訓だったりします。もちろん、喜劇や、恋愛劇など、人々がうっとりとするような心動かされるものを演じる側は作り出してきました。

 演じる者はやがて、職業化しそれで糧を得るようになりました。国の支配者や、有力者を回り、歌舞音曲を披露し、社会の重要な位置を占めるようになりました。しかし、政治風刺の内容は迫害の対象にもなりました。日本では出雲の阿国や、江戸時代の歌舞伎がたびたび規制の対象になっています。それでも、表現せずにはいられない芸術家が現代の舞台芸術を作ってきたのです。

 

 

 

 もう少し、具体的に歴史を見てみましょう。

演劇とは、俳優が舞台で聴衆を前にして、物語や対話を通してメッセージを伝えるものです。演劇が人類の歴史で最初に残っているのは、古代ギリシアの神前に捧げる劇です。白い服を着た複数の巫女が、エーゲ海を前に崩れかけたギリシア神殿で舞を踊る。こんなイメージの写真皆さんもどこかで見たことがあるでしょう。その後は、ギリシア悲劇で有名な三大悲劇詩人、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス。哲学者プラトンやアリストテレスなどがいます。半円形の専用劇場が生まれ、舞台での台詞が聴衆全体に反響するように、逆に、どこに座っても舞台をしっかり見られるように、舞台そのものも進化します。

 ギリシア人の後に世界の覇者となったのは、ローマ帝国。軍事、経済、帝国の運営に明るかったローマ人だが、芸術に関してはギリシアを範としていました。同じく多神教を信じる者同士、芸術に関しても、あらゆる内容の娯楽性の高い演劇を好んでいました。演劇以外にも、コロッセウムで、拳闘士同志の戦い、騎馬のレース、映画『グラディエイター』や、『ベン・ハー』の世界ですね。また皇帝は、演劇の要素を自身の政治にも取り入れていた。異民族を撃破し、都に帰ってくる時には、わざわざ凱旋式のためだけに壮麗な門、いわゆる凱旋門を作らせて、迎え入れる民衆を熱狂させました。国民の支持、人気が皇帝の力の源泉であるので、皇帝は自ら興行主となり、私財を投じ、惜しみなくイベントを開きました。

 舞台に限らず、人々が何に熱狂するのか、それを知り尽くし、使い尽くしたのがローマの政治家たちだったかもしれません。

 

 しかし、ローマの衰亡と共に台頭してきたキリスト教は、演劇や芸術を否定します。キリスト教はまず、自分たちの宗教以外を否定します。また、禁欲的なこと、教会を批判しないという自分のルールにそぐわないものを否定します。肉体の美しさを唄うローマ、ギリシアの彫刻はことごとく破壊されます。神々の悲喜劇を扱った演劇、エンターテイメント性の高い演劇も否定されます。そして人々を熱狂させる演し物も無くなります。ここに、演劇や芸術も暗黒時代を迎えます。

 

 

 

 やがて、西欧に再び、芸術の灯りが灯されるのは1000年以上経ったルネサンス時代です。絵画や音楽は、わずかに許されたキリスト教をテーマにした宗教画,宗教音楽としてその技を静かに受け継いできましたが、14世紀のイタリアから、この文芸復興運動と呼ばれるムーブメントが始まりました。

 

 ちなみに、この『ルネサンス』という言葉、今の意味で使われたのは、19世紀半ば、ドイツの歴史学者ヤコブ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』という本によります。ルネサンスには再生や復活の意味がありますから、キリスト教の時代を否定する意味合いがあります。実際、宗教戦争、魔女裁判、異端審問、中世のキリスト教が支配する時代は暗黒時代と言われ、迷信や非科学的、非合理的な奇蹟が幅を利かし、至高の権威である教会の横暴が時に人種差別や言われなき迫害で多くの犠牲者も生み出してきました。

 

 ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説は、推理小説の形式をとりながら、中世キリスト教が持つさまざまな矛盾をテーマとしています。舞台は、中世北イタリアの僧院。そこで殺人事件が起きます。キリストは笑わなかった。笑うとは悪魔特有の行為だ。と信じている修道僧にとって、その僧院の文書館に『笑い』をまじめに論じたアリストテレスの『詩篇』があることは都合が悪く、この文献が、事件の真相に深く関わってきます。人間の喜怒哀楽の感情の発露が舞台芸術ひいては人類の進化であったはずなのに、そういう人間性をもう一度取り戻すことが、まさにこのルネサンスの意義でした。

 

 中世はそんな時代でしたが、後の時代に様々な物語や教訓を与えた時代でもありました。アーサー王の聖杯伝説は、あらゆる冒険物語の原型が多く含まれていますし、様々な教訓を秘めた童話もこの時代に原型が生まれています。

 

 さて、このルネサンス期後期にイギリスでは、一人の天才が生まれました。ウィリアム・シェークスピアです。『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『ジュリアスシーザー』四大悲劇である『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』などが有名です。ほぼ同じ時代に日本では近松門左衛門という同じ才能を持った人間がいました。

 後年、シェークスピアの戯曲を中心に公演するロイヤル・シェークスピア・カンパニーは、彼の生まれ故郷ストラトフォード・アポン・ア・エイボンに19世紀終わりに生まれました。ここからは多くの有名な俳優が生まれ、他の舞台と違いシェークスピア俳優と別格に扱われてきました。その後20世紀になり、ハリウッドにも進出していきました。『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーも映画俳優ではなく、舞台俳優という誇りの方が強く、ここで知り合った名優ローレンス・オリヴィエと結婚します。彼女は死ぬまでハリウッドを毛嫌いしていましたが、今21世紀になり、ハリウッドの持つ魅力は、世界中の俳優を惹きつけてやみません。英国のスパイ007役のティモシー・ダルトンもここの出身だったはずです。

 

 シェークスピアの戯曲は、様々な影響を芸術の世界に与えます。映画や文学への影響を以上に大英帝国、大英帝国文化圏の発展に貢献しました。英語という世界言語の発展の影にもシェークスピアの作品群があることは疑いの無い所です。今日でも、英語教育の教材といえばシェークスピア、日本の中学生を悩ませています。また台詞、フレーズの持つ力、言葉の持つ力をあらためて人々に示しました。「生きるべきか死ぬべきか」「ああロミオ,あなたはなぜロミオなの」「ブルータスお前もか」シェークスピアを読んでない人でも,これらのフレーズは知っているでしょう、このフレーズを聞けば、物語の名場面が一気に頭の中に、そして心の中に蘇るかもしれません。

 シェークスピアの演劇は、舞台のみならず、壮大な音楽と声楽家たちの手でオペラに、舞台を所狭しと踊ったり、唄ったりするミュージカルに、そして映画やTVと言った映像の世界にも広がっています。これは、姿形を変えてもシャークスピアの作品が、人々の共通のOSとして機能しているからです。シェークスピアの生み出した戯曲は物語という人類共通の財産となったのです。

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コメント: 1
  • #1

    Nicole Serafini (木曜日, 02 2月 2017 02:39)


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